本日は、最近話題にあがる人工知能(AI)について考えてみました。
遡ること13年。
私が社会人になりたての頃、まだ使用していたのはいわゆる「ガラケー」
そう、今ではかなりの少数派になってきているあのパカパカ携帯電話。
とは言うものの、今でも「ガラケー」使っているんですけど。
当時はまだスマホという存在自体がじわ~っと世の中に広がりつつある段階で、当時の多数派は「ガラケー」。
その後のスマホの爆発的な広がりは今周りを見渡すと言うまでもなく。
また、当時はインターネットの回線速度自体もすんごい遅くて遅くて。
ちょっとした画像が徐々に現れてくるのを待っていることも全然珍しくない状態。
それが今はどうですか、回線自体の速度も当時よりかなり上がっているし、パソコン自体の処理能力も遥かに進歩。
ネットしていてちょっとページの開きが遅いだけで相当ストレスでしょ。
でも10年前のネット環境を思い出してみて。
ちょっとやそっとネットの開きが遅いのなんてかわいいもんだから。
そうやって、技術の進歩は気づけば当たり前のように自分たちの日常に組み込まれていって、快適、便利、楽なことは、いつの間にやら日常になっているんだ。
そして、人工知能が話題になっている今。
私でさえ当たり前のように人工知能技術の一部ではあるかも知れないが、その技術に触れている。
システムソフトはクラウド化され、クラウド化されたシステムソフトは過去の記録から自動でデータの入力を行ってくれる。
完全にすべてを正確とは言えないものの、6割程度は過去の記録から正確に入力を行ってくれるので、業務の効率化が行われている。
また、プライベートでも簡単に家計簿をつけられるようになった。
スマホ上からアプリをダウンロードして、金融機関のサイトと連携させるだけで自動で家計簿ができてしまう。
これもフィンテックと言われる技術の進歩のおかげ。
しかも、当たり前のように一度入力したデータは次回の入力時には自動で判定されて手動の手間を省いてくれる。
これで、手入力の手間なんてほぼ無いに等しいのに自動で家計簿ができて、自分の資産状況までボタン一つですぐさま確認することが出来るようになった。
どこまでの技術を人工知能というのかはわからないけれど、少なくとも、ちょっと手を伸ばせばシステムが自動で判断して利用者にとって便利なようにしてくれるツールがいくらでも身の回りにはある。
この便利という言葉。
便利という言葉を使う時はそれまで手間がかかっていたことに、手間がかからなくなった時に使うもの。
例えば、昔は人が運んでいた郵便も今は電子メールですぐに文章を送ることができる。
文書も画像も動画も電子メールですぐ送付。
これまで書面で郵送やりとりしていた公的な手続きもネット上から電子申請ができる。
これもネットを開いてブラウザからあっという間。
会社の設立時に行政書士などに依頼していた手続きも、今はネット上のツールで簡単に提出資料が作成出来たり、対応してくれたりする。
情報の検索だって、ネットから得ることができる情報で十分だったりもする。
法律に関する情報もネット検索からチョチョイのチョイと手に入れられる。
こういった便利になったということは「人の手」がかからなくなったことで便利になったことが多い。
人の手がかからないということは、人の手をかけていた業がなくなることにつながる。
業がなくなれば、それを生業としていた人たちにとって仕事がなくなることになる。
便利になれば便利になるだけ人が手をかけていた仕事がなくなってくる。
そうやって、古い仕事がなくなり、新しい仕事が生まれてきて今があるとしても、この人工知能に関してはまた別格なものを感じる。
それは、今回の人工知能の進歩は知識層の業さえも奪ってしまう。
これまでの便利は単純労働であったり、体を使った業が便利になってきていたことが多かったが、人工知能はこれまで人間が考えていた事を即座に自動で判断できる。
例えば、医師の診察、特定の検査データを取り込めば病気の診断や治療方法だって的確に人工知能が判断できる。
そして、データが集まれば集まるだけ精度は上がり、それをすぐに日本、世界全体の標準にすることも容易になる。
会社の経営だって人工知能に任せてしまった方が感情的なものに流されずに冷静な判断を導くことができる。
そもそも株の売買だってAIに頼っているのだから、経営判断さえも難しいことはないはず。
これまでシステムや機械が入ってこれなかった「考える事」さえも人工知能が担ってしまうことになる。
では、人工知能が進化した先に人がする業は何が残るのか。
パッと考えつくのは人工知能を制御する人は必要。
そのうち人工知能が人工知能を制御するようなことになっていきそうだけど。
また、人工知能が持ち得ていない「体」を使った作業をする人も必要。
あまりにも単純すぎる業は機械化されていくが、単純と複雑の間にあるような業や一定の領域を超えた技術が必要な業は今しばらく残っていくかもしれない。
絵や音楽、芸能といった人の感性や感情に触れる職業も残りそう。
いや、最終的に一番残っていそうなのが完成や感情に触れる職業なのかもしれない。
結局、一番ダメージを受けるのがホワイトカラーと言われる私のような職業。
これまで主にしていた仕事は人工知能が担うようになり、人工知能ができない部分を補助することだけが業として残されていきそうだなー。
職業名:AI補助員 ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
知識層は、しばらくは人工知能を一部利用しながら徐々に人工知能が浸透していくとして、その下で経営指示を受ける側の人間は特別な判断も必要なくなるので、今すぐにでも人工知能と入れ替わりをさせやすい立場。
もしかすると5年後、いや2,3年後にも何か変化が現れているのではないかと考えさせられるほど人工知能の進歩が恐ろしい。
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